人間は考える葦である・・?

*この記事は以前書いたもので、ずっと何だか公開できずにいたものです。


山の中。
幸いなことに、
今の生活はたくさんの生命に囲まれている。

朝日

たくさんの野生動物、昆虫、鳥、草、そして木々。
ここで生活するようになってから、やっと分かるようになってきた。

「人間は考える葦である」

高校時代に初めて出会ったこの言葉は
葦が何であるかも知らなかったあの頃には
到底理解も出来ずにいたけれど、
分からな過ぎて何故か印象には強く残っていたみたいで・・

生き物として、何が違うんだろう。
普通に、当たり前のように鹿やタヌキが生きている様を見て。普通に、季節になるとグングン伸びる草達の猛々しい生命力。いつ見ても、デンと構えて同じ場所でその存在感を誇る木々。それらの生命の逞しさ、潔さ、偉大さ、そして謙虚さをいつも感じている。

そんな生命達と人間って何が違うのだろうって。
そんなことを考える、感じることがよくあった・・。

パスカル。
「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。」

なるほど。

他の生き物との唯一の違いは、考える事ができる。
でも、葦のような存在でもある。


現在(いま)を、想う。

人間はかつて、その手に道具を持つことで考え、工夫し考え続けてきて今の人間になったのに。
現在(いま)の道具は指先ひとつで何でもやってくれ、答えも出してくれる。
だから、そのことについては何も考えない。

そういうもの、いっぱいないかな?
そういうもの、ばっかりではないかな?
そういうもの、本当に必要なものばっかりなのかな?

ナビ、AI, GPS, スマホ・・、必要な場面も、有用な場面ももちろんあるけれど。

便利だ便利だと、我が世の春を謳歌していないかな。

便利や手軽さは、自分で考え、自分で判断する機会を奪う。

機会がなくなれば、退化する。
考えなければ、情緒も持てない。

だとしたら、

その人間が、考える事を放棄したら?

もはや弱々しい葦でしかない。

「考えない葦」
それは、もはや人間ではなくなっちゃうわけで・・。



「便利は人を育てない」

僕が、とても大事にしてる言葉。








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ててろう

Author:ててろう
山の生活を楽しみたい。
薪割り、草刈り、鳥の声・・。
やることは山ほどあって、生きるって忙しいんだって、そんな当たり前の事を知りました。

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