山と木と家具を想う ①山を想う

自然との共生

エコな社会

持続可能な社会(サスティナブル)

いつの時代もこのような言葉達で語られる

「スローガン」のみではあってはならない・・


長野県の蓼科山は標高2.530m。
その北側の裾野にある佐久市望月地区は
標高650m~1000m以上ある。
DSC_0002.jpg

このあたりの地区は、それぞれ山中に広大な森林を管理していて、区民は毎年下草刈りなどの山林作業がある。
地区の人達が、手ノコやナタを持って、 実際に山に入って作業するのだけれど、

その度々に、強く実感することがある。

山の管理をすることは、今自分がやっていることは、それはそのまま遥か海までも繋がっているんだなぁと。

でもそれは、木々に囲まれ物凄く気持ちのいい中での喜びの想いだけでは決してなくて・・。

そこはカラマツの山。
カラマツが生い茂る中の下草、つまりは多くの「広葉樹の子供たち」を刈っていく。
かつてカラマツの需要を見込んで植林されたのだから当たり前なのだけれど。
そしてそう遠くない時期に伐採時期を迎えるカラマツ達は、人の何かに役に立っていくのだろうけど。
でもね、なんだか釈然としない・・。
自分の中に、腑に落ちない・・。

日本各地でみられるこうした造成林は、やっぱり建築材に適した杉やヒノキ、ここのカラマツやその地方に適した針葉樹が多い。
針葉樹は広葉樹に比べ根の張り方が薄く、落葉しない杉やヒノキが多い山では土地も肥えず、保水力や山の保持力は、そこがかつて全くの原生林だった頃に比べれば、間違いなく劣るだろう。
だとするならば、山は崩れ、形を変えていくのは当たり前だ。

最近の50年に一度などと表現される豪雨がある中
自然なままの力を持った山は、耐えているのだろうか。
自然なままの力を持った山は、崩れているのだろうか。

「山は人の手が入らないと荒れる。」
・・と、良く言われるけど。
なるほど・・
そうかもね・・と、なんとなく思いやすいな。
でも、それは人の手が一度でも入った山の話。
自然に人が手を加え、また人から見た山の話。

人にとっての、山の恵みを守るための山。
昔々から、人はそうやって生きてきた。
だからそれを否定するとか、
非難するとかぁじゃなくて。

でも、知っていなければならない。
わきまえていなければならない、そう思う。

限度、限界、分別。

山だって、無茶されたら、それを排除しようとするはずだ。

無茶に荒らされたら、守りたくってもそんな力はもうでない。
今の多くの山はそんな状態なんじゃあ・・・、
ないのかなぁ。


日本の国土の約7割が森林。
その中でいまや原生林や自然林などと呼ばれる森は国立公園や時に観光地のような扱い。
つまり、貴重で希少。

花粉症。
豪雨による土砂崩れ。
河川の氾濫。

みんな繋がっているような気がする・・。

繋がってるはずだ、「自然」だもの。



②へつづく・・











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ててろう

Author:ててろう
山の生活を楽しみたい。
薪割り、草刈り、鳥の声・・。
やることは山ほどあって、生きるって忙しいんだって、そんな当たり前の事を知りました。

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