生きることは食べること。『農のある暮らし』

本当のことを大切にしていきたい。
その上で、生きるってことを考えると、やっぱり食べることは一番先に結び付く。

子供が小さい時、スーパーで野菜を一つ買うのにも、外国産だの、国産だの、安心だの心配だの、そんなことばかり考えていて、食べることについてこんなことを考えなきゃいけないのは、なんかおかしいなぁといつも思っていた。

お金さえあれば、安心安全な食べ物が手に入るのかもしれないが、今の世の中、それだって疑わしいと思ってしまう。信州の山の中に移り住んでみると、周りには畑や田んぼがたくさんある。その、大地が食糧を生み出している光景が妙に安心感を与えてくれることに気付いた。こうしたものを、食べる・・本当のことだ。

だから、自分の山の松林を開墾し、300坪あまりの畑をつくった。

松林というのは、やせた土地が適しているらしく、下草もあまりないところだった。開墾時に土を動かしてしまったので、一年目は堆肥をいれたら、その後、夏野菜たちのお祭りのような華やかな畑をみることができた。
翌年からは、無肥料、不耕起、草を邪魔とせず、草を生かす、そんな目標で土の力をつけるために、大豆などの豆類を植え続けた。もちろん、毎年ジャガイモ、ねぎ、夏野菜・秋野菜と一通りやってきたが、やはり堆肥をいれた一年目のようなお祭り騒ぎにはならなかった。
草を生かすと目標を立てながらも、草のことがよく分かってないから友達にはなれず、戦っていたような数年を過ごし、ようやく土が変わってきたと感じられたのは開墾から5年ぐらいたってから。

この写真は今年の今現在の様子。ただの草っぱらみたいだけど、ジャガイモや長ネギが植えられ、6種の豆類がその発芽をまっている状態。

耕さない畑

草がないと、発芽した豆類は鳥の格好の餌になり、ほとんど食べられてしまう。草が守ってくれている。
踊子草(おどりこそう)という土が肥えていることを教えてくれる草があって、それが今年はとても増えてきて、この畑もようやくかなと思えてきた。

8年目の今年は、これから夏野菜の準備に入るのだけれど、今年は少し量を減らして、味噌作りに使う大豆をたくさん収穫できるようにした。
夏野菜は、ここの短い夏のお祭りみたいで、取れすぎて他所に分けてあげたいと思っても、ご近所の方たちも同じらしく、キュウリ、ナス、ズッキーニやら逆に頂いてしまう。頂いたズッキーニを食べている間に、自分の畑のズッキーニは、腕の太さほどに巨大化してしまう。思わず、笑ってしまうでしょう。

畑の開墾の翌年には、縁あってか、あこがれの田んぼも借りることができ、米作りも挑戦しています。
その様子は、また改めて。

田んぼも草との戦いなんだよなぁ。





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薪割り、草刈り、鳥の声・・。
やることは山ほどあって、生きるって忙しいんだって、そんな当たり前の事を知りました。

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