自然との共生
エコな社会
持続可能な社会(サスティナブル)
いつの時代もこのような言葉達で語られる
もはや「スローガン」で終わってはならない・・
なんといっても
無垢の木で家具を作れる喜びは
人が、なんとなく心地よく感じられる素材であること
・・・この「なんとなく」が、とっても大事で。
また、やがていつか、その役目を終えたときにも、元の土へと還っていけるということ。
これに尽きる。

これはクルミの木。
下の輝いているところ。
ここは、かつてこの木が枝を支えていた節の近く。(木の枝というのは、例え細い枝でも結構な重量がある。)
他にも、曲がった幹を支えて物凄い力がかかっていたところには、〝アテ″といってとても綺麗な模様を輝くように見せることがある。
そういうものに出会うと、その木が、「オレ、頑張っていたんだよ!」と訴えているような気がする。
木の力。
ちょっと、感動する・・。

同じ木の裏側。
どちらも、とても愛おしい・・。
木は意図していないだろうが・・
勝手に、木の生き様を感じ、大きな何かを感じる。
そうやって木に向き合うと
木も一生懸命生きて、森の中で、山の中で、役割を果たしていたのだろう、と思う。
山や森で、他の生き物たちとの共生をはかり、何かに(地球に)負担をかけることなく、持続可能な調和と安定を守ってくれている、と思う。
最近頻発する浸水災害。
毎回、水に浸かった家具が、災害ゴミとして積まれるニュースを見るたびに胸が痛む。
これが無垢の木の家具なら、修理が必要でもまた使い続けることも出来るはずなのに・・。
このこと自体は、災害という被害に遭われた人にとっては、想像もつかない状況の中で仕方がないことだとは思う。
もう一度、「生き方」として。
使い捨ての物が果たして共生のサイクルに沿っているのだろうか、とか。
コレは共生のサイクルから外れていないだろうか、とか。
今日の自分は、大事なことは何なのか、忘れてはいないだろうか、とか
無垢の木の家具を通して、木の事はもちろん、山の事、森の事、生きていく糧のこと、
欲張って、出来るだけ多くの事を伝えていきたい、と思う。
もちろん、たくさんの自戒も込めながら。
人も地球上の生き物である以上、共生の中でこそ、生きてこれたはず。
生き物の生きる糧を与えてくれる故郷。
だから、忘れないでいきたい。
人も、自分も出来るだけ
共生というサイクルの中で生きてゆけたら。
たとえ電気を使って暮らしていても。
出来るだけ・・。