オーストラリア大陸1991 Ⅳ
ゴールまで、距離はまだまだあるけれど。
自分が乗り越えたい挑戦は、まだあるかなぁ。
クリスマスは、アデレードで迎えた。
メルボルンという有名な都市にも滞在した。
でも荒々しさに欠けた日々に少し物足りなくなっていた。
大陸を南下し海が近づくにつれ、
内陸にはない雨に見舞われた。
晴れるのを待ち、テントの中で過ごす日もあった。
雨のあがった翌朝の太陽の日差しは、なんと柔らかかったことか。

最後になるかもしれない内陸のストックルート。もったいぶって走ってた。

南オーストラリア州都 アデレード


ニュージーランドに負けじと、
こちらも羊の大群・・。


2日続いた、雨が止んだ。心躍る出発の朝。

海岸線は、奇岩、絶景。

今まで見てきたオーストラリアとはまた違った風景。綺麗だけど・・、
やっぱり内陸にいた頃が、懐かしい、恋しい。


ゴールであるシドニーの気配を感じ始めた頃。

いつも、もしかして、最後のブッシュキャンプになるかも・・と思ってた頃。
広大ではないが、なかなか素敵な場所を見つけて喜々とする。

1992年のHAPPY NEW YEARはメルボルン。
ビクトリア州の州都。有名ですね。


オーストラリアの首都 (ACT)。人口的だが緑が多く広い美術館のような街だった。

シドニー近郊の奇岩「スリーシスターズ」。
シドニーまであと100kmほど・・。


ついにシドニーに戻ってきた・・。嬉しいのと、寂しいのと複雑なゴールとなった。

約25.000km。
青と白のDRは本当によく走ってくれた。

DRは日本に持ち帰ることは叶わず、
最後に良く洗車して、手放してきた。
また、誰かとこの大陸を走ってくれたらいいなぁ。
この旅は、今まで知らなかった世界を存分に感じさせてくれた。
そして、世界はもっともっと広いのだということも教えてくれた。
目の前の夢の向こう側には、
さらなる夢が広がるんだと感じていた。
そして、気持ちはすでに次へ次へと高ぶっていた。
このあと、日本に帰国し、また次へ向かって進んでいく。
元居た場所で、やるべき事をやりながら。
自分が居るべき場所を求めて、すべきことを模索していく。
そんな日々に繋がっていく。
「ああ、もっと世界が見たい。」
「地球上の国々を見てみたい。」
そんな想いを抱えて、
オーストラリア大陸1991は終わった。
自分が乗り越えたい挑戦は、まだあるかなぁ。
クリスマスは、アデレードで迎えた。
メルボルンという有名な都市にも滞在した。
でも荒々しさに欠けた日々に少し物足りなくなっていた。
大陸を南下し海が近づくにつれ、
内陸にはない雨に見舞われた。
晴れるのを待ち、テントの中で過ごす日もあった。
雨のあがった翌朝の太陽の日差しは、なんと柔らかかったことか。

最後になるかもしれない内陸のストックルート。もったいぶって走ってた。

南オーストラリア州都 アデレード


ニュージーランドに負けじと、
こちらも羊の大群・・。


2日続いた、雨が止んだ。心躍る出発の朝。

海岸線は、奇岩、絶景。

今まで見てきたオーストラリアとはまた違った風景。綺麗だけど・・、
やっぱり内陸にいた頃が、懐かしい、恋しい。


ゴールであるシドニーの気配を感じ始めた頃。

いつも、もしかして、最後のブッシュキャンプになるかも・・と思ってた頃。
広大ではないが、なかなか素敵な場所を見つけて喜々とする。

1992年のHAPPY NEW YEARはメルボルン。
ビクトリア州の州都。有名ですね。


オーストラリアの首都 (ACT)。人口的だが緑が多く広い美術館のような街だった。

シドニー近郊の奇岩「スリーシスターズ」。
シドニーまであと100kmほど・・。


ついにシドニーに戻ってきた・・。嬉しいのと、寂しいのと複雑なゴールとなった。

約25.000km。
青と白のDRは本当によく走ってくれた。

DRは日本に持ち帰ることは叶わず、
最後に良く洗車して、手放してきた。
また、誰かとこの大陸を走ってくれたらいいなぁ。
この旅は、今まで知らなかった世界を存分に感じさせてくれた。
そして、世界はもっともっと広いのだということも教えてくれた。
目の前の夢の向こう側には、
さらなる夢が広がるんだと感じていた。
そして、気持ちはすでに次へ次へと高ぶっていた。
このあと、日本に帰国し、また次へ向かって進んでいく。
元居た場所で、やるべき事をやりながら。
自分が居るべき場所を求めて、すべきことを模索していく。
そんな日々に繋がっていく。
「ああ、もっと世界が見たい。」
「地球上の国々を見てみたい。」
そんな想いを抱えて、
オーストラリア大陸1991は終わった。